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【大学に行く意味】大学にいくべき3つの理由とは

大学には行った方がいいのだろうか?

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久しぶりに情報発信をしようと思う。

情報発信に限らず
人に価値を与えるためには、

誰のどういう問題を
解決するためのものなのか

を明らかにしないと
ただの自己満足になってしまう

なので、
まずはそれを明らかにしたい

今回は、大学に行く意味が
わからない人に向けて

その疑問を解消して
自分の進むべき道に確信を
持ってもらうための発信である

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「学校の勉強なんて
社会に出て役に立たない!」

だれもが一度は思ったことの
あることではないだろうか?

これだけ聞くと
納得してしまいそうになる

僕も昔はそう思っていたけれど

「それは学校で習うような
高度な知識を必要としない
仕事についているか、

それを生かすような
生き方をしていないだけだ」

と言われれば
それもまた納得のいくことだと思う

つまるところ、
大学に行った方がいいかなんて、
自分がやりたいこと次第であり、

「大学には行った方がいいのか?」
なんて命題めいた形で一般的に
真偽を問えるようなことではないのだ

たとえば、板前になりたいと
決まっているのに
大学に行く必要はないだろうし

逆に、国連で働きたい、とか
であれば大学に行く必要があるだろう

ただ、そんなことを
言ってしまうと
元も子もないので

一般的にあてはまることを
いくつかお話ししたい

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僕の考える
大学に行く意味は3つである。

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1つめは、

「巨視的な視点が身につくこと」

である

「もし私が、他人より
遠くを見ているとするならば、
それは私が、巨人の
肩の上に立っているからだ。」

これは数学者アイザック
ニュートンの言葉である。

学校を自主休学して、
(実際に休学もして)
社会経験を積んでいた
僕の実体験からも
言えることであるが

何かを知ったからといって
何かができるようになる訳ではない

だから、学校の勉強は
社会に出てなんの役にも立たない
と一般に言われるのだろう

ただし、勉強をすることで
世界の見え方がガラリと変わる

何かを知ったからといって
何かができるようになるわけではないが

何かを知れば、何かに対する
見え方が変わるのは確かである

たとえば、

最低賃金を上げろ
という運動をしている人がいる

社会のことを
勉強せずにあたりを見渡せば、

最低賃金が低いから
困っている人がいる、

というのが問題点として
目に止まるのは妥当かとは思う

しかし経済学的に言えば
最低賃金を上げると
失業者が増えるだけである

なぜならば、
最低賃金が上がらない理由は

企業の売り上げ
が上がらないこと、と

正社員の給料が
下がらないことだからである

(まぁ、学生の知識レベル
なので間違ってるかもですが)

ただ正社員の給料を下げると、
意欲が低下し売り上げも落ちそうなので

実質的には、
企業の売り上げがあがらないこと
が問題だと言ってもいいと思う

つまり、最低賃金が低いという
問題点を解決するためにとるべき策は

最低賃金をあげろ、という
運動をすることではなく、

企業の売り上げを上げるための
工夫をすることなのである

(金融緩和がその1例)

これは知らなければ
見えないことであり

これを見えるようになるために
行うのが勉強だということだと思う

まぁ、学校の勉強に限らず
学ぶということは得てして
そういうことなのだろう

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そして2つ目が、

「社会を変える人材になること」

である

「これまで大学は
【社会の求める人材】を
輩出してきましたが、

大学の本来の役割は
【社会を変える人材】を
生み出すことです」

これはある大学の
教授がいっていた言葉である

イノベーション
の持つ力は計り知れない

たとえば、
18世紀イギリスの産業革命では

綿織物を1単位生産するのに
500時間かかっていたのが

3時間に減少し、その結果
綿織物の生産量が125倍になり

その恩恵で下着の着用が
一般的に広まったそうだ

まぁ、ここまで
大規模に社会を変えなくても

社会とは
共同体のことを言いますから、

会社一つとか、ある地域一つとか
社会全体を見る目を持ち、
社会全体の利益を考えて行動できる

そんな社会を変える人材を
輩出することが最高学府を謳う
大学の役割なのだろう

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そして最後は、

「自分の進むべき方向性を定める」

こと。

つまり、

「仕事を選ぶための
あるいは、生き方を選ぶための
4年という時間を買うこと」

だと言っていいと思う

4年という時間で何かを極める
ということは極めて難しい

「少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず」

という朱熹の言葉であったり

「人生は何事もなさぬには
あまりにも長いが、
何事かをなすにはあまりにも短い。」

という中島敦の言葉のように

4年という短い時間で
何かを成し遂げられる
と思ったら大間違いだと思う

(絶対にできないと
言いたいわけではない)

それならばなにを
やればいいのかというと

進むべき方向性を定めること
だと思う

「若くて体力がある時の方が
たくさんのことができる」

人は得てして
そう思うかもしれない

しかし、ビジネス的に言えば
生産性が最も高まるのは
50歳あたりだというデータがある

このことからわかるのは

1つのことを30年近く
やり続けてやっと、
人は一人前になれる

ということだろう
(一般的には)

大学の4年間をどう使うかは
人それぞれではあるが、
4年という時間はあまりにも短い

4年も職業訓練をする機会を
うっちゃって、遅れて社会に
出る者としてやるべきことは

いろいろなことをやってみて、

自分にどういうことができて
どういう価値観を持っていて
どういう欲求をもっているのか

これらをしっかりと分析した上で、

進むべき道を定め、
社会に出ると当時に
勢いよくスタートダッシュを
切ることではないだろうか