多次元ブログ

3次元の世の中を、より高い視点で見るためのブログ

英文を読むことと世界を読むことは同じ

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どうも、セトルスです
白猫プロジェクト
やってる人にはわかる)

今回は、勉強をすることに
意味を見いだせない人に向けて

勉強をすることで
どんなにいいこと、楽しいこと、
気持ちいいことがあるのか
というのを伝えるための発信です

「おやおや、こいつ、またまた
頭のイッたことを言いだしたぞ」

ええ、そうなんです、
もともと頭は逝ってるんですが

今日は
証券やら債権やら酔拳やらの勉強で
覚えること多すぎて発狂しそうなので

それを自覚した上で、憂さ晴らしに、
逝ってるお話しをお話しします

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最近思うんです、

「文章を読むことと
世界を読むことって同じだ」って。

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たとえば、英語を学べば、
英語の文章の意味が
わかるようになるように、

世界について学べば、
世界の意味がわかるようになる
ってことです。

英語について学ばなければ
英語から意味をキャッチできないように、

英語の文章が意味のわからない
記号の羅列に見えてしまうように、

世界について学ばない人は
世界から意味をキャッチできなくなります

これが一つ、
勉強をする意味だと思っています

あとでわかりやすい
具体例を出しますが

英単語と英文法を学べば
英文が読めるようになります

単語を学ぶということは
概念を学ぶということであり

文法を学ぶということは
概念同士の関係性を学ぶということです

(え、まだ読むのあきらめないで)

たとえば、

「猿がバナナを食べる」

という文章があったとして、

まず、「猿」「バナナ」「食べる」
という言葉(概念)を学びます

猿 バナナ 食べる

そして、「が」「を」という
文法を学ぶことで

猿という主語がバナナという
目的語を食べるという動作を行う

という関係性がわかり、
文章の意味がはじめてわかります

これと同じことが文章以外のことに
ついても当てはまるということです

野球のスイングで例えてみましょう

野球に詳しい人と詳しくない人の
2人の人がいて

ある一人の
野球選手のスイングを見たとします

詳しくない人からしたら

ただ野球選手が
①バットを振っているようにしか
見えないかもしれませんが

詳しい人が同じスイングを見れば

その野球選手が
①どのくらいのテイクバックをとって
②どういうタイミングの取り方で
③どのくらい肘をたたんで
④どのくらい重心を残して
⑤どのコースにバットを振って
⑥振り終わりのフォロースルー
をどのくらい取っているのか
⑦どんな顔の造形をしているのか

(すいません、
⑦はフザけました)

など様々な情報が
頭に入ってくることでしょう

なんということでしょう

簡単な例を挙げただけでも
6倍もの情報量の差があるのです

同じスイングを
見ていたはずなのに。

「真似してみて」と言っても、
詳しい人の方が、
より正確に真似できるはずです

それならば詳しくない人は
なぜ読み取れる情報が少ないのでしょうか?

それは、「テイクバック」
「肘をたたむ」「フォロースルー」
などの概念を知らないからです

これは英単語を知らない
のと同じような関係性です

英単語を知らないから
英語を読んでも頭に入らない

同じように、

「テイクバック」「肘をたたむ」
「フォロースルー」などの概念を
知らないから、

同じスイングを見ても
頭に入らないわけです

これが概念を学ぶということです

それならば、文法は
何に例えられるのでしょうか?

それは、スイングと
打球の関係性に例えられます

野球に詳しくない人は

大谷翔平のホームラン、
スイングのスロー再生が
テレビで流れているのを見ても

どこが素晴らしいのか
なぜホームランになったのか

などなど

スイングと打球の関係性は
読み取れないと思います

しかし、それなりに
野球に携わってきた人なら

「すげえ差し込まれてるのに
そんなに肘たたんで打って
よくホームランにしたな」とか

「そのカーブでよく
そんなに重心残して
前でヘッド走らせて
ホームランにできるな」とか

(あ、僕野球やってましたけど
下手だったので間違ってたらすいません)

「そうスイングしたから
こんな打球になったんだ」

という関係性が読み取れます

たとえば、

「ヘッドを走らせる」
という概念を知っていても

「変化球に対して前でヘッドを
走らせて打てば打球が飛ぶ」

というスイングと
打球の関係性を知らなければ

さきのホームランをみても
スイングと打球の因果関係を
読み解くことはできないでしょう

「うわあ、すごい飛んだなあ」

持つのは、それぐらいの
感想だけではないでしょうか

さっきの例で言えば

「猿」「バナナ」「食べる」

などの概念だけを知っていても
それぞれの関係性はわかりませんが

「が」「を」という関係性を
表す文法を学ぶことではじめて

猿がバナナを食べる

という文章の正確な意味を
キャッチすることができます

これが関係性を学ぶということです

そんな感じで、文章を読むのと
世界を読むのは同じようなものです

英語に関して勉強すれば
英語から意味が
感じ取れるようになるように

世界について勉強すれば
世界から意味が
感じられるようになるわけです

その結果どうなるのか?

同じように街を歩いていても
同じようにテレビをみていても
同じように人と話していても

たくさんの情報が
頭に入ってくるようになります

つまり、見えるものが増え、
考えられることが増えるのです

ストーリーテリングについて
少しでも学んだことがある人は、

君の名は。」を見ていても
まずニュース性で世界に引き込んで

観客と同じスタート地点で始まり、
ターゲットに合わせてスマホ
ツイッターなどを持ち出して
現実フュージョンをガッツリ行なって

観客が登場人物に
感情移入するように仕向け、

突然の出会いを入れて、
読者が無意識に望んでいる
ような非日常的な経験を
バーチャルに体験させる

みたいな流れに
なっていることがわかります

認識できないものに
対して人は考えることはできません

それはひるがえせば

認識できるものが増えれば
考えられることが増える

ということでしょう

ただし、ここからが注意点です

「見えるものが増えても
そして考えられることが増えたとしても
できることが増えるわけじゃないだろう」

だれもが
そう思うのではないでしょうか?

これは一般的には
【「わかる」と「できる」は違う】
なんて言葉で揶揄されることです

ええ、そうです、たとえば

大谷翔平のスイングを見て
なぜホームランが打てるのか
がわかったとしても

それで自分がホームランが
打てるようになるわけではありません

だから、知識を仕入れるということは
意味のないことだと言われるわけです。

頭でっかちだと言われるわけです。

これは確かに間違いのないことです。

英語が読めて、英語から情報が
キャッチできるようになったからといって

自分が何かを
できるようになるわけではないように

知識を仕入れたからといって、
何かができるようになるわけではありません

問題解決能力が上がるわけではありません。

しかし、英語が読めると
手に入る情報が多くなるように、

野球について学べば、
スイングひとつとっても
たくさんの情報が
読み取れるようになるように

知識を仕入れることで
問題の認識能力自体は上がるわけです

これこそが勉強するにおいての
ミソとなるものだと言えましょう

確かに問題解決能力は上がりませんが
問題認識能力は飛躍的に上がります

英字新聞を読めば
日本の新聞の報道が
偏ってることに気づいたり

野球について学べば
自分のスイングを動画で見たときに
スランプの原因がわかったり

なんかそういうことが
たくさん起こるようになるわけです

そして世の中面白いもので
問題解決能力が足りないから
解決できない問題だけじゃなく

問題自体を認識できないから
解決できない問題がたくさんあります

医学や、整体の分野など特にそうで

たとえば、僕はタイピングで
手首を壊したことがあります

ただ、人と比べてそんなに
タイプをしてるわけでは
ないのにすぐに痛くなるのです

調べれど調べれど
そしてでてきた情報を
試せど試せど、

一向に良くなりません

(マウス、キーボードの
前に置く、よくありがちな
クッションとかも買いましたが
よくなりませんでした)

それで整骨院に行ってみたところ

背の高くふくよかな
整骨院院長は、椅子に座っている
僕の背中を上から押しました

僕は耐えられず
その場に崩れ堕ちてしまいました

(少し盛ってます)

つまるところ、
手首が痛くなっていた原因は

重力に対して垂直に姿勢を保つ
ことができていなかったから
(簡単に言うと姿勢が悪かったから)

だったわけです

そして、姿勢をよく保つには
院長がしたように上から押してあげて

垂直に体に負荷をかけ、
それに耐えるように背筋を伸ばす

ただそれだけだったのです

それから僕は、気づいたときに
自分で上から圧をかけて
姿勢を正すようにすること

ただそれだけで
手首の痛みがなくなりました

さあ、長くなりましたが
何が言いたいのかというと

こんな感じで、
問題さえ認識してしまえば

問題解決能力は
さほどいらないことって
山ほどあるってことです

気づいたときに
自分の肩を上から押してみる

それができない人は
ほとんどいないわけです

もっと規模が大きなことを言うと

15世紀ドイツにおける活版印刷
技術の普及があげられましょう

むかしむかしのそのむかし、
人々は本というものを印刷する
技術を持ちませんでした

それならばどうやって、
本を作っていたのでしょう?

それは、すべて「手写し」です

キリスト教の修道士たちが、
修道院で修行の一環として黙々と
1字1行丁寧に筆書きしていた訳です

今から思えばひどく非効率なことです

そのせいで本は当時は高級品で
よって識字率も高くはありませんでした

そんなときに15世紀ドイツの
グーテンベルクという人が、

アルファベットのハンコを並べて、
文章を大量生産する方法を思いつきました。

アルファベットは文字数が
少ないので、a-zのハンコを作って、

版面に並べるだけで簡単に印刷
することができるようになった訳です

だれでも思いつき
そうな話だと思いませんか?

おそらく当時の人たちからすると

「本を作るのは時間がかかるものだ」
「本を作るのは修道士の仕事だ、
俺たち一般人のやることではない」

みたいな考えがイデオロギーとして
まかり通っていたのでしょう

また、識字率が低い、ということも
特に問題点ではなかったのかもしれません

そんなときに、グーテンベルク
「本を作るのに時間がかかる」ことを
問題点だと捉え、印刷術を作ったことで

世界の構造
そのものを変えてしまいました。

具体的に言うならば、
まず本の価格が下がり、
識字率の上昇、そして中流階級
にも知識が行き渡りました

そしてメディア
というものが誕生します

出版社はもちろん、新聞などもでき、
情報の波及速度が飛躍するとともに

出版者→人々という一方通行の
情報発信媒体が初めて確立されました

その結果として、人々に情報を
行き渡らせることができるようになり

(悪く言えば洗脳、
思想統制がしやすくなった)

キリスト教の爆発的な普及、
国民国家の誕生、マルティンルター
による宗教革命など

さまざまな
社会現象を引き起こして、

聴覚主体の情報収集から
視覚主体の情報収集の社会へ
と変えてしまいました

(ちなみに、現代の
インターネットの普及は今までの
一方通行の情報発信の構造を壊し

僕みたいなどこぞの馬の骨とも
わからない人間でも情報発信の
できる世界に変えてしまいました

その結果、
国家による思想統制も難しくなり

人々はみんなそれぞれ自分の
信じたいものを信じている、
というカオスな状況になっています)

(なのでインターネットの普及は
当時の活版印刷の発明以上に
インパクトの強いものだと思います

実質的な国家の崩壊、
グローバル化などはますます
進展するのではないでしょうか)

グーテンベルクがやったことは
当たり前を疑うということと
ただハンコを並べるという
イデアを出すことだけです

ハンコを並べるという
考え方が生まれたのは、

本を作るのに時間がかかること、
修道者などだけが本を作っていることを
当たり前ではなく解決すべき問題点として
捉えることができたからです

つまるところ、
これが問題認識能力であり、

認識さえしてしまえば
解決するのは簡単である、

ということの一例だと思います

確かに勉強をすることで
問題解決能力は高まらないように
直感的には感じてしまいます

しかし、認識さえすれば
解決できる問題というのも多くあります

そして、本当に難しいのは
解決することだけでなく

そもそも、だれもが問題だと
思えないことを問題点として
捉えることができるか、
意識にあげることができるか

だと思います。

「知は力なり」とイギリスの
哲学者フランシス・ベーコンは言いました

知識偏重の人は文弱だとして
罵られることもあると思いますし

僕自身、文弱だなあ
と感じることもあります

しかし学ぶということは、

できることは増えねども
認識できるものを増やし
考えられることを増やし
僕らの人生を肥やしてくれます

(すいませんまたふざけました)

そして、認識=解決となる
問題も多々あるということです

冒頭に戻りますが、
単語を覚え文法を覚えることで
英文が読めるようになるように

世界について学ぶことで
世界が読めるようになります

世界から感じる意味が多くなり
毎日の生活が発見に溢れることになります

簡単に言うと、勉強を続ければ
「道を歩けばアハ体験」という
境地が、あなたを待っています

(行きたいかどうかは
微妙かもしれませんが(笑))

「さあ、知の冒険にでかけよう」
みたいな頭の逝った発言こそしませんが

この文章が勉強に意味を見出せない
誰かのお役に立てたなら幸いです

(5400字!!!(笑))