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【パラダイムシフト】信仰→理性→感情

パラダイムシフト】信仰→理性→感情

 

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はたして人生というものが自己実現プロセスなのか自己発見プロセスなのかは僕の知るところではないけれど、というかその両極を線分の端と端に設定すると、さながら加重平均を取るかのようにその間の任意の点を取るのだろうけれど、僕の人生は2度の変曲点を経て、自分の人生を生きる上での指針というものがめまぐるしく変わってきたように思える。

 

というかこのような文体で「宇宙とは何か」なんてことをつらつらと書き連ねていたならば、いつまで厨二病なんだとどこかの誰かからツッコミを受けるかもしれないけれど、まあもうしばらくは大人になれそうな気配はない。努力はしている。でもまあ、大人とは社会人であることとは違ってあくまで相対的なものでしかー(割愛)

 

この世に生を受け(いやしくも産んでいただいて)、物心のついた僕の頭をまず最初に支配していたのは「信仰」だと思う。何度も言うように、これらはあくまでもウエイトの話で、つまり、何にどれくらいの重きがあるのかという割合の話であって、信仰心だけで生きていたわけではない。が、このころは大人の言うことを聞き、授業でならったことを聞いて、「そういうものなんだな」というふうに済ませていた。だからこそ、知識の丸暗記ができて学校の授業では良い点数が取れたのだと思う。疑うことを知らないということは、感情的ではあったとしても理性的ではない。それはたとえ宗教を信じていなかったとしても宗教的な生き方だとは言えるだろう。

 

しかし、この生き方に限界がきたのは大学受験に落ちた時だ。厳密に言えば落ちるまでの過程ではあるのだが。この時期に悟ったのは、信仰で問題は解けないということだ。これは受験の問題に限らず、人生の問題に一般化して言えることだと思う。この転換期を経て、理性というものが僕の関心、つまり、注意の視野にほっこりと顔を出してくるようになる。本当にこれでいいのか、なぜうまくいかないのか、論理主導の問題解決によって少なくとも机上の問題は解けるようになっていった。

 

理性主導で動けるようになった僕は、論理的に正しい、論理的にやるべきだということを自分の思うままに行動することができ、人間の認識は知識と経験によって成立っているのでたくさんの知識を詰めて経験をしよう、そう思って授業でも良い成績をとったし、たくさんの新歓に顔を出して200人弱の名前を覚えた。

 

バイトとサークルでつねに予定を埋め、朝から晩まで動き回った。夏休みには淡路島で15時間労働なんてこともあったし、冷気の充満するトラックの荷台において、手の届かない高さにある冷食の段ボールをジャンプして引っ張り下ろし、地上でキャッチ。そしてそれをリアカーまで運ぶということもやった。

 

原チャで野を超え山を越え、兵庫県の上の方に行って、シェフの被る、いびつな煙突みたいな帽子を被ってクレープを焼き、アイスを盛り付けていたこともあったし、埋め立て地の華々しいブライダルにサービスの仕事に行き、結婚式で論理を絶した幸せにまみれている夫婦が披露宴をすませ、燦々と降り注ぐ気持ちの良い5月の日光の中で会食を楽しむところを見送り、夜間まで片付けをして原チャで本土に帰宅途中。真黒な闇に燦然とまるで希望のごとく光り輝く、山の斜面にミルフィーユ状に展開するどこか異国風で歴史のあるお洒落な神戸の夜景をまぶたに焼き付け、ああ、と息とともに感嘆の声を洩らしながら寮に帰宅。

 

ショーシャンクの空に、の脱獄後のシーンのごとく歓喜の雨でも浴びるかのように顔面からシャワーを当てて汗を流すとともに、身に降り注ぐ不幸を雨に見立て、その不幸をもってこそ魂を浄化できるというカタルシスを歌い込んだ(と僕が思っている)、美空ひばりの愛燦燦を彷彿とさせながら、労働で荒んだ心の汚れをも浄化して、疲れきって布団にダイブ。なんて日々を繰り返していた。

 

不思議とつらいとか、疲れとかを感じることはなかった。いや、あるにはあったが、それが眼前に視覚化されて顕現すること、つまり、大きな関心を持って意識にあがることはなかったのである。

 

、、、いささかこの文章に終わりが見えないことと、時間とスケージュールを慮ってみるとやるべきことを履き違えているような感覚に見舞われたので、理性から感情への経過は次回というか気が向いたらということにしたい。続