多次元ブログ

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人間が神を創造する理由

結果を見ただけじゃ原因はわからない

 

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なにごともそうであるが、結果を見ただけじゃ原因はわからない。バタフライエフェクトとはよく言われるが、たとえばテキサスで起きた竜巻がブラジルで1匹の蝶が羽ばたいたことによって生じたと言われてもそれは嘘だとは言えないのである。

 

なぜか?たとえば、他にも例を挙げるとするならば、天気予報というのはなぜ外れるのだろうか??それは現実世界があまりにも複雑なので天気予報を正確に計算する計算式を作ったところで、その計算式に入力する初期値が正確に計測できないからだ。結果として、どんだけ科学を突き詰めたところで正確に予測することはできない、ということが科学的にわかるわけである。

 

話が逸れたが、なにが言いたいのかというとある結果においてその原因は一義に定まるものではなければ、突き詰めれば突き詰める程出てくるということである。

 

たとえば、僕は字が汚いのだがそれには原因が二つあった。1つには、それぞれの字の正確な形を知らないこと。2つには、僕の脳みそ的に内容に集中するか、文字を綺麗に書くことに集中するかのどちらかしかできないということだ。一文字ずつを綺麗に書こうとすると書けるからである。内容に集中すると気づけば文字が乱れているということが起こる。それならば、内容はたとえば、パソコンで一度下書きをしてそれを移すという風にすれば解決出来る。

 

こんな偉そうなことを言える立場ではないが、世の中の人は得てして、物事を突き詰めるということをしないと思うのである。たとえば、文字が汚いのは、自分の性格のせいだ、と一度決めてしまうと、突き詰めることをしない。なぜこんなことを主張しているのかというと自分が昔そうであったからである。

 

文字が汚いのは仕方ないことではない。しかたないとか、当然だとか、ある答えを一義に定めることは思考停止をするための口実でしかない。人はよくわからないものに対して答えを求める生き物である。たとえば、野球が上手い人がいて、その人がなぜそんなにも野球が上手いのかわからない、ああ、これは才能の違いなんだ、という口実をつけて思考停止をするわけである。

 

さきからいうように、結果をみて原因はわからないのである。その人が野球が上手いからといって、それは才能なのか努力によるものなのか、そんなものはわからないのである。だから、才能だと決めつけて思考停止することは自分の負けを正当化し、努力をしないための言い訳でしかない。

 

人はよくわからないものに答えを求めて、それで思考停止をするものである。実際、いろんな人に才能とは何かと聞いてみても答えられない人が多いし、人によって答えは様々である。結局、さいのうなんてよくわからないのである。

 

神が存在する理由もそこにある。人は超常現象、たとえば、なぜ宇宙は存在するのか、なぜ人間は生まれてきたのか、などなどよくわからないものに対する原因、答えとして神を作り、神話を作った。そして思考停止に陥るわけである。雷が落ちるのは雷神様が怒っているからだ、台風が来るのは風神様が怒っているからだ。と。しかし、突き詰めてみれば現代の科学でわかっているように雷は積乱雲の中での氷の粒の摩擦から生じるものであり、風だって海水の蒸発、気圧の高低差などから?生じるものだったはずである(不勉強なので自信はないが)

 

つまり、答えを定めることは思考停止であり、自分ができないこと、わからないことを正当化するための口実にすぎないということである。人間、時間さえかければ不可能なことはない、文字が汚いのであれば答えを安易に求めるのではなく、その原因をどこまでも突き詰めて考える必要がある。そしてその原因を潰せばおのずと文字は綺麗に書けるようになる。

 

なんどもいうが人間にできないことはない。人が空を飛べるなんて一昔前までほとんどの人が想像しなかったであろう。不可能はない。不可能はないのだ。ただし、不可能がないからといって、なんでもかんでもやればいいわけではない。なぜなら、人には寿命があるからだ。

 

確かに人にできないことはないが、大切なのはそれにかかる時間である。受験においても18歳までに一定の学力をつけることが価値なのであって、何浪もすれば本当にだれでもある程度いい大学には入れるものである(時間と労力をかけて手段を選ばなければ本当に入れる)

 

しかし、大事なのは合格できるかどうかではなく(いや、合格しないとなれない職業があるならべつ。たとえば医者とか。)自分のできることからかんがみると、どのくらいの時間と労力がかかるか、という点である。

 

つまるところ、何をやるのかというのは、できるかどうかではなく、どのくらいの時間と労力かかるかこそを考えるべきであり、人よりも時間、労力がかかる分野とは自分の苦手な分野だということなので、そのフィールドでの戦いを避けて、自分の勝てる場所で戦うべきだということであろう。

 

ちなみに、文字の練習において、お金にまつわる文字が多いのは僕が経済学部だからということにしておきましょう。