多次元ブログ

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「お前は自分を出してない」

「お前は自分を出してない」

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そう言われたのが去年の今頃。時の流れはとても早い、まさしく、光陰矢の如しである。最近やっと人に興味が出てきた。慣れない仕事もやってみるものだと、深々と感じ入ってるここ最近で候ふ。

 

10歳ぐらいから10年間は、僕は正直、人に興味があまりなかった。すごい辛辣というか、恩知らずというか、人としてあるまじきことだと思うが、本当にそうなのだ。

 

人は興味がないもの、知識がないものは皆同じに見える。たとえば、英語を読めない人からしたら、英文学の文章も、科学誌の学術論文の英文も区別はつかないだろう。そうな感じで、僕は長い間、人を類型としてしかとらえることができていなかった。インテリ、パリピ、インキャ、文武両道のスーパマン、腐女子、などなど。

 

言葉があるものしか認識できていなかったし、会う人会う人その類型のどれかにラベリング、カテゴライズしてそのレッテル貼り、分類分けが終わればそれ以上その人に対して深掘りしていくということはしなかったのである。まぁ、誰でも少なからずその傾向はあるはずだが、僕はそれが顕著に顕れていたというだけのことではあるけれど。

 

僕にとってはそれよりもむしろ、世の中の普遍法則、物理法則とか、人に共通する性質とか、そういった、物的なもの、およそ人ではないものにしか意識が向いていなかった。

 

なんだろう、こうやって人に興味を持ってみると、自分がコミュニケーションという点において随分遠くれていることに気がつく。おそらく、英語、数学、国語、えとせとら、そういったものにおいて、世間一般(まあ、そんなものは物理的には存在しないが)からしたら秀でているのに対し(まぁ、さすがに時間かけてやってきた分ね)逆に、僕のコミュニケーションの能力といえば、世間一般の人をはるか下から見上げているような状況である

 

わあ、よくそんなことできるなあ、と。たいていのものにおいて、一度落ちこぼれると、人は、というか僕はやる気が出ないものであるのだが、この点においては、人間関係という点においては、人生を構成する要素というものがあったとして、その多くのウエイトを占めているのは間違いがなく、逃げてばかり、というか目を背けてばかりはいられないなあ、と、

 

他の人が勉強に取り組むのが億劫であるのと同様に、僕自身、苦手意識と億劫さなどを乗り越えて誠心誠意取り組んでいこうと決意する今日この頃である。