多次元ブログ

3次元の世の中を、より高い視点で見るためのブログ

英文を読むことと世界を読むことは同じ

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どうも、セトルスです
白猫プロジェクト
やってる人にはわかる)

今回は、勉強をすることに
意味を見いだせない人に向けて

勉強をすることで
どんなにいいこと、楽しいこと、
気持ちいいことがあるのか
というのを伝えるための発信です

「おやおや、こいつ、またまた
頭のイッたことを言いだしたぞ」

ええ、そうなんです、
もともと頭は逝ってるんですが

今日は
証券やら債権やら酔拳やらの勉強で
覚えること多すぎて発狂しそうなので

それを自覚した上で、憂さ晴らしに、
逝ってるお話しをお話しします

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

最近思うんです、

「文章を読むことと
世界を読むことって同じだ」って。

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たとえば、英語を学べば、
英語の文章の意味が
わかるようになるように、

世界について学べば、
世界の意味がわかるようになる
ってことです。

英語について学ばなければ
英語から意味をキャッチできないように、

英語の文章が意味のわからない
記号の羅列に見えてしまうように、

世界について学ばない人は
世界から意味をキャッチできなくなります

これが一つ、
勉強をする意味だと思っています

あとでわかりやすい
具体例を出しますが

英単語と英文法を学べば
英文が読めるようになります

単語を学ぶということは
概念を学ぶということであり

文法を学ぶということは
概念同士の関係性を学ぶということです

(え、まだ読むのあきらめないで)

たとえば、

「猿がバナナを食べる」

という文章があったとして、

まず、「猿」「バナナ」「食べる」
という言葉(概念)を学びます

猿 バナナ 食べる

そして、「が」「を」という
文法を学ぶことで

猿という主語がバナナという
目的語を食べるという動作を行う

という関係性がわかり、
文章の意味がはじめてわかります

これと同じことが文章以外のことに
ついても当てはまるということです

野球のスイングで例えてみましょう

野球に詳しい人と詳しくない人の
2人の人がいて

ある一人の
野球選手のスイングを見たとします

詳しくない人からしたら

ただ野球選手が
①バットを振っているようにしか
見えないかもしれませんが

詳しい人が同じスイングを見れば

その野球選手が
①どのくらいのテイクバックをとって
②どういうタイミングの取り方で
③どのくらい肘をたたんで
④どのくらい重心を残して
⑤どのコースにバットを振って
⑥振り終わりのフォロースルー
をどのくらい取っているのか
⑦どんな顔の造形をしているのか

(すいません、
⑦はフザけました)

など様々な情報が
頭に入ってくることでしょう

なんということでしょう

簡単な例を挙げただけでも
6倍もの情報量の差があるのです

同じスイングを
見ていたはずなのに。

「真似してみて」と言っても、
詳しい人の方が、
より正確に真似できるはずです

それならば詳しくない人は
なぜ読み取れる情報が少ないのでしょうか?

それは、「テイクバック」
「肘をたたむ」「フォロースルー」
などの概念を知らないからです

これは英単語を知らない
のと同じような関係性です

英単語を知らないから
英語を読んでも頭に入らない

同じように、

「テイクバック」「肘をたたむ」
「フォロースルー」などの概念を
知らないから、

同じスイングを見ても
頭に入らないわけです

これが概念を学ぶということです

それならば、文法は
何に例えられるのでしょうか?

それは、スイングと
打球の関係性に例えられます

野球に詳しくない人は

大谷翔平のホームラン、
スイングのスロー再生が
テレビで流れているのを見ても

どこが素晴らしいのか
なぜホームランになったのか

などなど

スイングと打球の関係性は
読み取れないと思います

しかし、それなりに
野球に携わってきた人なら

「すげえ差し込まれてるのに
そんなに肘たたんで打って
よくホームランにしたな」とか

「そのカーブでよく
そんなに重心残して
前でヘッド走らせて
ホームランにできるな」とか

(あ、僕野球やってましたけど
下手だったので間違ってたらすいません)

「そうスイングしたから
こんな打球になったんだ」

という関係性が読み取れます

たとえば、

「ヘッドを走らせる」
という概念を知っていても

「変化球に対して前でヘッドを
走らせて打てば打球が飛ぶ」

というスイングと
打球の関係性を知らなければ

さきのホームランをみても
スイングと打球の因果関係を
読み解くことはできないでしょう

「うわあ、すごい飛んだなあ」

持つのは、それぐらいの
感想だけではないでしょうか

さっきの例で言えば

「猿」「バナナ」「食べる」

などの概念だけを知っていても
それぞれの関係性はわかりませんが

「が」「を」という関係性を
表す文法を学ぶことではじめて

猿がバナナを食べる

という文章の正確な意味を
キャッチすることができます

これが関係性を学ぶということです

そんな感じで、文章を読むのと
世界を読むのは同じようなものです

英語に関して勉強すれば
英語から意味が
感じ取れるようになるように

世界について勉強すれば
世界から意味が
感じられるようになるわけです

その結果どうなるのか?

同じように街を歩いていても
同じようにテレビをみていても
同じように人と話していても

たくさんの情報が
頭に入ってくるようになります

つまり、見えるものが増え、
考えられることが増えるのです

ストーリーテリングについて
少しでも学んだことがある人は、

君の名は。」を見ていても
まずニュース性で世界に引き込んで

観客と同じスタート地点で始まり、
ターゲットに合わせてスマホ
ツイッターなどを持ち出して
現実フュージョンをガッツリ行なって

観客が登場人物に
感情移入するように仕向け、

突然の出会いを入れて、
読者が無意識に望んでいる
ような非日常的な経験を
バーチャルに体験させる

みたいな流れに
なっていることがわかります

認識できないものに
対して人は考えることはできません

それはひるがえせば

認識できるものが増えれば
考えられることが増える

ということでしょう

ただし、ここからが注意点です

「見えるものが増えても
そして考えられることが増えたとしても
できることが増えるわけじゃないだろう」

だれもが
そう思うのではないでしょうか?

これは一般的には
【「わかる」と「できる」は違う】
なんて言葉で揶揄されることです

ええ、そうです、たとえば

大谷翔平のスイングを見て
なぜホームランが打てるのか
がわかったとしても

それで自分がホームランが
打てるようになるわけではありません

だから、知識を仕入れるということは
意味のないことだと言われるわけです。

頭でっかちだと言われるわけです。

これは確かに間違いのないことです。

英語が読めて、英語から情報が
キャッチできるようになったからといって

自分が何かを
できるようになるわけではないように

知識を仕入れたからといって、
何かができるようになるわけではありません

問題解決能力が上がるわけではありません。

しかし、英語が読めると
手に入る情報が多くなるように、

野球について学べば、
スイングひとつとっても
たくさんの情報が
読み取れるようになるように

知識を仕入れることで
問題の認識能力自体は上がるわけです

これこそが勉強するにおいての
ミソとなるものだと言えましょう

確かに問題解決能力は上がりませんが
問題認識能力は飛躍的に上がります

英字新聞を読めば
日本の新聞の報道が
偏ってることに気づいたり

野球について学べば
自分のスイングを動画で見たときに
スランプの原因がわかったり

なんかそういうことが
たくさん起こるようになるわけです

そして世の中面白いもので
問題解決能力が足りないから
解決できない問題だけじゃなく

問題自体を認識できないから
解決できない問題がたくさんあります

医学や、整体の分野など特にそうで

たとえば、僕はタイピングで
手首を壊したことがあります

ただ、人と比べてそんなに
タイプをしてるわけでは
ないのにすぐに痛くなるのです

調べれど調べれど
そしてでてきた情報を
試せど試せど、

一向に良くなりません

(マウス、キーボードの
前に置く、よくありがちな
クッションとかも買いましたが
よくなりませんでした)

それで整骨院に行ってみたところ

背の高くふくよかな
整骨院院長は、椅子に座っている
僕の背中を上から押しました

僕は耐えられず
その場に崩れ堕ちてしまいました

(少し盛ってます)

つまるところ、
手首が痛くなっていた原因は

重力に対して垂直に姿勢を保つ
ことができていなかったから
(簡単に言うと姿勢が悪かったから)

だったわけです

そして、姿勢をよく保つには
院長がしたように上から押してあげて

垂直に体に負荷をかけ、
それに耐えるように背筋を伸ばす

ただそれだけだったのです

それから僕は、気づいたときに
自分で上から圧をかけて
姿勢を正すようにすること

ただそれだけで
手首の痛みがなくなりました

さあ、長くなりましたが
何が言いたいのかというと

こんな感じで、
問題さえ認識してしまえば

問題解決能力は
さほどいらないことって
山ほどあるってことです

気づいたときに
自分の肩を上から押してみる

それができない人は
ほとんどいないわけです

もっと規模が大きなことを言うと

15世紀ドイツにおける活版印刷
技術の普及があげられましょう

むかしむかしのそのむかし、
人々は本というものを印刷する
技術を持ちませんでした

それならばどうやって、
本を作っていたのでしょう?

それは、すべて「手写し」です

キリスト教の修道士たちが、
修道院で修行の一環として黙々と
1字1行丁寧に筆書きしていた訳です

今から思えばひどく非効率なことです

そのせいで本は当時は高級品で
よって識字率も高くはありませんでした

そんなときに15世紀ドイツの
グーテンベルクという人が、

アルファベットのハンコを並べて、
文章を大量生産する方法を思いつきました。

アルファベットは文字数が
少ないので、a-zのハンコを作って、

版面に並べるだけで簡単に印刷
することができるようになった訳です

だれでも思いつき
そうな話だと思いませんか?

おそらく当時の人たちからすると

「本を作るのは時間がかかるものだ」
「本を作るのは修道士の仕事だ、
俺たち一般人のやることではない」

みたいな考えがイデオロギーとして
まかり通っていたのでしょう

また、識字率が低い、ということも
特に問題点ではなかったのかもしれません

そんなときに、グーテンベルク
「本を作るのに時間がかかる」ことを
問題点だと捉え、印刷術を作ったことで

世界の構造
そのものを変えてしまいました。

具体的に言うならば、
まず本の価格が下がり、
識字率の上昇、そして中流階級
にも知識が行き渡りました

そしてメディア
というものが誕生します

出版社はもちろん、新聞などもでき、
情報の波及速度が飛躍するとともに

出版者→人々という一方通行の
情報発信媒体が初めて確立されました

その結果として、人々に情報を
行き渡らせることができるようになり

(悪く言えば洗脳、
思想統制がしやすくなった)

キリスト教の爆発的な普及、
国民国家の誕生、マルティンルター
による宗教革命など

さまざまな
社会現象を引き起こして、

聴覚主体の情報収集から
視覚主体の情報収集の社会へ
と変えてしまいました

(ちなみに、現代の
インターネットの普及は今までの
一方通行の情報発信の構造を壊し

僕みたいなどこぞの馬の骨とも
わからない人間でも情報発信の
できる世界に変えてしまいました

その結果、
国家による思想統制も難しくなり

人々はみんなそれぞれ自分の
信じたいものを信じている、
というカオスな状況になっています)

(なのでインターネットの普及は
当時の活版印刷の発明以上に
インパクトの強いものだと思います

実質的な国家の崩壊、
グローバル化などはますます
進展するのではないでしょうか)

グーテンベルクがやったことは
当たり前を疑うということと
ただハンコを並べるという
イデアを出すことだけです

ハンコを並べるという
考え方が生まれたのは、

本を作るのに時間がかかること、
修道者などだけが本を作っていることを
当たり前ではなく解決すべき問題点として
捉えることができたからです

つまるところ、
これが問題認識能力であり、

認識さえしてしまえば
解決するのは簡単である、

ということの一例だと思います

確かに勉強をすることで
問題解決能力は高まらないように
直感的には感じてしまいます

しかし、認識さえすれば
解決できる問題というのも多くあります

そして、本当に難しいのは
解決することだけでなく

そもそも、だれもが問題だと
思えないことを問題点として
捉えることができるか、
意識にあげることができるか

だと思います。

「知は力なり」とイギリスの
哲学者フランシス・ベーコンは言いました

知識偏重の人は文弱だとして
罵られることもあると思いますし

僕自身、文弱だなあ
と感じることもあります

しかし学ぶということは、

できることは増えねども
認識できるものを増やし
考えられることを増やし
僕らの人生を肥やしてくれます

(すいませんまたふざけました)

そして、認識=解決となる
問題も多々あるということです

冒頭に戻りますが、
単語を覚え文法を覚えることで
英文が読めるようになるように

世界について学ぶことで
世界が読めるようになります

世界から感じる意味が多くなり
毎日の生活が発見に溢れることになります

簡単に言うと、勉強を続ければ
「道を歩けばアハ体験」という
境地が、あなたを待っています

(行きたいかどうかは
微妙かもしれませんが(笑))

「さあ、知の冒険にでかけよう」
みたいな頭の逝った発言こそしませんが

この文章が勉強に意味を見出せない
誰かのお役に立てたなら幸いです

(5400字!!!(笑))

【大学に行く意味】大学にいくべき3つの理由とは

大学には行った方がいいのだろうか?

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久しぶりに情報発信をしようと思う。

情報発信に限らず
人に価値を与えるためには、

誰のどういう問題を
解決するためのものなのか

を明らかにしないと
ただの自己満足になってしまう

なので、
まずはそれを明らかにしたい

今回は、大学に行く意味が
わからない人に向けて

その疑問を解消して
自分の進むべき道に確信を
持ってもらうための発信である

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「学校の勉強なんて
社会に出て役に立たない!」

だれもが一度は思ったことの
あることではないだろうか?

これだけ聞くと
納得してしまいそうになる

僕も昔はそう思っていたけれど

「それは学校で習うような
高度な知識を必要としない
仕事についているか、

それを生かすような
生き方をしていないだけだ」

と言われれば
それもまた納得のいくことだと思う

つまるところ、
大学に行った方がいいかなんて、
自分がやりたいこと次第であり、

「大学には行った方がいいのか?」
なんて命題めいた形で一般的に
真偽を問えるようなことではないのだ

たとえば、板前になりたいと
決まっているのに
大学に行く必要はないだろうし

逆に、国連で働きたい、とか
であれば大学に行く必要があるだろう

ただ、そんなことを
言ってしまうと
元も子もないので

一般的にあてはまることを
いくつかお話ししたい

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僕の考える
大学に行く意味は3つである。

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1つめは、

「巨視的な視点が身につくこと」

である

「もし私が、他人より
遠くを見ているとするならば、
それは私が、巨人の
肩の上に立っているからだ。」

これは数学者アイザック
ニュートンの言葉である。

学校を自主休学して、
(実際に休学もして)
社会経験を積んでいた
僕の実体験からも
言えることであるが

何かを知ったからといって
何かができるようになる訳ではない

だから、学校の勉強は
社会に出てなんの役にも立たない
と一般に言われるのだろう

ただし、勉強をすることで
世界の見え方がガラリと変わる

何かを知ったからといって
何かができるようになるわけではないが

何かを知れば、何かに対する
見え方が変わるのは確かである

たとえば、

最低賃金を上げろ
という運動をしている人がいる

社会のことを
勉強せずにあたりを見渡せば、

最低賃金が低いから
困っている人がいる、

というのが問題点として
目に止まるのは妥当かとは思う

しかし経済学的に言えば
最低賃金を上げると
失業者が増えるだけである

なぜならば、
最低賃金が上がらない理由は

企業の売り上げ
が上がらないこと、と

正社員の給料が
下がらないことだからである

(まぁ、学生の知識レベル
なので間違ってるかもですが)

ただ正社員の給料を下げると、
意欲が低下し売り上げも落ちそうなので

実質的には、
企業の売り上げがあがらないこと
が問題だと言ってもいいと思う

つまり、最低賃金が低いという
問題点を解決するためにとるべき策は

最低賃金をあげろ、という
運動をすることではなく、

企業の売り上げを上げるための
工夫をすることなのである

(金融緩和がその1例)

これは知らなければ
見えないことであり

これを見えるようになるために
行うのが勉強だということだと思う

まぁ、学校の勉強に限らず
学ぶということは得てして
そういうことなのだろう

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そして2つ目が、

「社会を変える人材になること」

である

「これまで大学は
【社会の求める人材】を
輩出してきましたが、

大学の本来の役割は
【社会を変える人材】を
生み出すことです」

これはある大学の
教授がいっていた言葉である

イノベーション
の持つ力は計り知れない

たとえば、
18世紀イギリスの産業革命では

綿織物を1単位生産するのに
500時間かかっていたのが

3時間に減少し、その結果
綿織物の生産量が125倍になり

その恩恵で下着の着用が
一般的に広まったそうだ

まぁ、ここまで
大規模に社会を変えなくても

社会とは
共同体のことを言いますから、

会社一つとか、ある地域一つとか
社会全体を見る目を持ち、
社会全体の利益を考えて行動できる

そんな社会を変える人材を
輩出することが最高学府を謳う
大学の役割なのだろう

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そして最後は、

「自分の進むべき方向性を定める」

こと。

つまり、

「仕事を選ぶための
あるいは、生き方を選ぶための
4年という時間を買うこと」

だと言っていいと思う

4年という時間で何かを極める
ということは極めて難しい

「少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず」

という朱熹の言葉であったり

「人生は何事もなさぬには
あまりにも長いが、
何事かをなすにはあまりにも短い。」

という中島敦の言葉のように

4年という短い時間で
何かを成し遂げられる
と思ったら大間違いだと思う

(絶対にできないと
言いたいわけではない)

それならばなにを
やればいいのかというと

進むべき方向性を定めること
だと思う

「若くて体力がある時の方が
たくさんのことができる」

人は得てして
そう思うかもしれない

しかし、ビジネス的に言えば
生産性が最も高まるのは
50歳あたりだというデータがある

このことからわかるのは

1つのことを30年近く
やり続けてやっと、
人は一人前になれる

ということだろう
(一般的には)

大学の4年間をどう使うかは
人それぞれではあるが、
4年という時間はあまりにも短い

4年も職業訓練をする機会を
うっちゃって、遅れて社会に
出る者としてやるべきことは

いろいろなことをやってみて、

自分にどういうことができて
どういう価値観を持っていて
どういう欲求をもっているのか

これらをしっかりと分析した上で、

進むべき道を定め、
社会に出ると当時に
勢いよくスタートダッシュを
切ることではないだろうか

 

 

【進路選びに。教養に。】経済学でできること、まとめ。

 

 

今回は、大学での学部選びに困っている高校生または、教養として経済学を学んでみたい社会人の方に向けて、【経済学でできること】【経済学がどれほど面白いのか】【経済学に向いている人】などを小学生でもわかる様、簡単にお話ししていこうと思います

経済学に向いている人

経済学とは、数学を使って「誰がどう見てもこっちの方が効率がいいよね」「誰がどう見てもこうする方が正しい選択だよね」というのを考える学問です。なので以下の様な人に向いています

  • 無駄が嫌い
  • 要領が良くなりたい
  • 感覚的な考え方よりも
    合理的な考え方の方が得意
  • 自分の思い通りにならないことが嫌い
  • 世の中を自分の思い通りにしたい
  • 曖昧なものが許せない
  • 本質的なことを考えるのが好き
  • 哲学的なことを考えるのが好き 
  • 世の中の常識を真に受けることができない

経済学を一言で言うと? 

数学を使って人間社会を理解するための学問!

経済学は社会科学の一種だと言われます。これに対して、数学や物理学などを使って自然を科学するのが自然科学と言われてます。どちらも基礎には数学があります。

つまり、数学を用いて曖昧さを残さず、誰がどうみても正しいと思える理論を社会に適応していく学問だと言えます。

物理が自然に対して数学を適応するものだとすれば、経済学は社会に対して数学を適応する学問だということができます。

数学ができないといけないのか?

 そんなことはありません。先に挙げた経済学に向いている人、のところに当てはまっていれば問題ありません。実際のところ、数学が苦手な人というのは、何に使えるのかがわからないからやる意義が見出せず、結果として苦手になっていることが多いです。

なので実際に現実世界に使うために学ぶ、となればやる動機が明確になるので、高校までの数学が苦手だったとしても全然問題はありません。

経済学でできること

それなら具体的に経済学ではなにができるのでしょうか?たとえば、世の中の常識として不景気になると仕事を失う人が増えると言われています。 これは感覚的には正しい様に感じられますし、周りの大人たちもなんの疑いもなく、当たり前のこととして受け止めていることだと思います。

しかし実際は、不況は仕事を失う人が増えることの直接的な原因ではありません。それならば不景気に陥った時に失業者数を増加させている本当の原因はなんなのでしょうか?それは、従業員の給料が毎月ほぼ固定されていることにあります。

経済学部を考えている高校生、あるいは学んだことのない社会人の方に向けて書いているので具体的な説明はしませんが、こういった世の中にまかり通っている、感覚的には正しい大いなる間違いを見つけて、喝破することができるのが経済学なのです。

また、経済学とは覚えるものというよりも、手段として身につけるものです。たとえば、経済学でよく用いられる統計分析の手法を用いれば、文学、歴史、教育、政治、などなど人間社会のあらゆる分野に対しての分析を行うことできます。究極的に言うなら、「なんでもできる」ということになるでしょう。

そういった意味でも、特に今は具体的にやりたいことがない、というあなたでも、人間社会を生きていくための下地、基礎体力をつけるために学んでみてもいいと思います。ありたいていな言い方をするならば、「潰しがきく」学問だと言えます。

経済学と経営学の違い

それでは最後に経済学と経営学の違いについてお話します。市場を構成するのは高校の授業でも習う通り、経済の3主体と呼ばれる、企業、政府、消費者です。このうち、企業に焦点を当てるのが経営学で、3つ全てを分析するのが経済学です。

経営学は部分的に考える分だけ具体的な、企業の施策、マーケティングなどを扱うのに対して、経済学は全体的に考える分だけ抽象的な、市場全体の利潤最大化や、市場の失敗への政府の政策、消費者の消費行動、企業の利潤最大化などを扱います。

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まとめ

ここまで、経済学とはなにか、なにができるのか、どういう人が向いているのかなどを説明してきました。でも、まあ、つまるところ、人が興味関心があるのは、【経済学は実生活に役に立つのか?】ということではないでしょうか?

そこで最後にこの問いに対する答えを明示して、この文章を締めくくろうと思います。「経済学は実生活に大いに役に立ちます。」この文章が進路に迷う高校生や、馴染みがなく経済学を学ぶことに踏み出せない社会人の方の一助にでもなれれば光栄に思います。

【やっかいごとを避ける!】世渡り上手になるための6つのリスク管理法

なたは人生の中で
リスクに対応できなかった
ことはないだろうか?


たとえば、学校や仕事に
遅刻してしまったり、


提出物を期限までに
提出できなかったり


これらのように
取り返しの効くような
ことであればいいが、


交通事故であったり、
自然災害でったり、
1度のミスが命取りに
なる場合だってある


これらの時に、

スマートにリスクに対応して
難を逃れる勝ち組と、


あっけなく難に飲まれてしまい

人からの信用を失ったり、
帰らぬ人となってしまったり
する負け組とに分かれる


その違いは明白で、

これまでの人生において
リスクへの対処法を体系的に
学ぶ機会があったかどうか

ただそれだけである。


今回は経営学の一部
ファイナンス理論から
リスクマネジメントを取り上げ、


リスクに漏れなく対処して

スマートに人生を生き抜くための
6つの方法を紹介したい


1損害規模の軽減

2損害発生の予防
3リスク回避行動
4リスク移転
5内部リスク軽減
6リスク保有


以下で1つずつ詳しく解説しよう


1 損害規模の軽減

損害規模の軽減とは、
事故が起こってしまったときの
損害を小さくする行動である


自動車事故で言えば
エアーバックが発動する
ようになっているし、


もしも相手との約束の時間に
遅れる可能性があるなら


前もって断りをいれておく
ことで本当に遅れてしまった時に
相手の感じる不快感を
小さくすることができる、


みたいなことである。


2 損害発生の予防

損害が発生する可能性を
小さくするための行動のこと。


自動車事故で言えば、
事故が起こる可能性を減らす
ために安全運転を心がけたり


学校や仕事に遅れる
可能性を減らすために、
早めに寝床についたり、


目覚ましをこれでもか
というほどにセットしたり
する行為のことである。 


3 リスク回避行動

そもそもリスクが
発生するようなことは
行わないという選択のこと。


自動車事故を起こさない
ように、はなっから車は
運転しないと決めてみたり


学校や仕事に遅刻する
可能性があるから、


寝るのが遅くなってしまった
場合は徹夜で目的地に向かう、
などの行動を指す。


4 リスク移転

事故の損害を他人に肩代わり
してもらうという方法のこと。


たとえば、自賠責保険、生命保険、
また、企業が契約にて免責事項を
記載するのもリスク移転の1種である


5 内部リスク軽減

リスクが発生した時のために
資産を分散させておくことなど。


たとえば、事故で車が
1台潰れることを考えて、
高い車を1台買うのではなく
安い車を2台買っておくなど。


(こんなことする人は
いないかもしれないが)


投資の世界では
よく使われる手法である。 


海外旅行で紙幣を
全身に散りばめて隠し持つ
などの行為もこれに当たる。


6 リスク保有

リスクを認識した上で、
自分で損害を引き受ける行為。


たとえば、保険に入る
のではなく、事故が起きた時の
ために貯蓄を行っておくなど。


以上、リスクマネジメントに
おける手法を6つ体系的に紹介した。


日常生活において損失を

被るのは、大概リスクマネジメントに
漏れがある場合である。


また、リスクに気づかない場合は、

無条件でリスク保有を選択しているのと
同じ状態になってしまうので


日常のふとした瞬間に、

リスクマネジメントに漏れがないか、
1〜6のチェックポイントで
ぜひとも確認してほしい